文化遺産

金海首露王陵

金海首露王陵

西暦42年、求智峰で灘江し、[駕洛国、金官伽倻]を建てた首露王の墓域で、納陵とも呼ばれる。その規模は直径22m、高さ6mの円形墳で、陵碑、上石、文武人石、馬羊虎石などが備えられており、境内には崇善殿と崇安殿、安香閣、神道碑閣などが配置されている。
金海首露王碑陵

金海首露王碑陵

金海首露王碑陵は、金官伽倻の始祖・首露王の王妃である許黄玉の墓である。許黄玉はもともと阿踰陀国(インド)の王女で、天の命を受けて16歳で船に乗り海を渡って首露王の妻になったという。首露王陵とは異なり平地でなく丘に建てられた点が特異で、近くに掘式石室墳構造の金海亀山洞古墳群などが位置している。
金海鳳凰洞遺跡

金海鳳凰洞遺跡

鳳凰洞遺跡は韓国で初めて発掘調査が行われた会峴里貝塚と金官伽倻の代表的な生活遺跡地である鳳凰台を合わせて拡大指定された所だ。ここは支石墓、貝塚、港施設、鳳凰土城などが発掘され、青銅器時代から伽倻時代までの複合遺跡の性格を持つ。また、伽倻人の生活像と共に伽倻王権の存在を示す重要な資料となっている。
金海大成洞古墳群

金海大成洞古墳群

大成洞古墳群は、1世紀から5世紀まで、鉄の生産と国際交易を通じて前期伽倻連盟を主導した金官伽倻支配層の墓である。旧金海湾を眺望できる金海盆地中心部の独立した低い丘陵地に分布する。
金海亀旨峰

金海亀旨峰

亀旨峰は西暦42年、首露王が誕降した聖なる場所である。丘陵の形が亀に似ていることから亀首峰、亀峰などとも呼ばれる。『三国遺事駕洛国記』に掲載された首露王の誕降説話によると、西暦42年当時、この地域を治めていた九干と民衆が亀旨峰に集まり亀旨歌を歌いながら踊ると、空から紫の紐でぶら下げられた黄金の箱が降りてきて、箱から出てきた6つの黄金の卵を割って生まれた方々が6伽倻を建てた王となったという。